仕事始ままりました
おばんです。ケインコスギです。
2017年の仕事も始まってしまいました。
始まって、しまいました。
>書き終わったあとの書き足しですが、年始の挨拶書こうと思ったら仕事の愚痴になってました。すまん。<
ぼくは会社勤めでねぐ、いわゆる自営業的な感じなのですが、なんだかよくわからん状態なので正直なところです。
会社を家族で経営してるのですが、ぼくは実際には経営してません。もうここからしてうちの事務所は摩訶不思議エリアなのですが、それは気にせずいってください。気にしたら死ぬぞ!難しい問題だ!
父と母と姉と、ぼくとパートさんで成り立ってます。そんな感じです。ほぼ家族でやりくりしてるんですな。
それでまぁ会社に対して自由な発言がまぁ、その出来たりまぁ、まぁそんなんです。いちおー自営業の身分です。ぃぇーぃ
家の仕事を手伝いだして5年…ちょいになるのかな。その前は自動車整備士としてTのディーラーで整備士やっちょりました。整備士の資格を持ってます。
震災があったのが2011でしたか。埼玉の営業所におりまして。揺れを感じたら即クルマをリフトダウンせよという安全行動がありまして、揺れたなーと思ってクルマが落っこちない程度にリフトを下げてたら電柱が台風のときの木みたいに揺れだしまして。
埼玉もかなり揺れました。本棚がぶっ倒れてきたりね。
揺れも落ち着いてお客さんの安全も確認とれて、地震やべぇwwとか言ってたらテレビで仙台空港あたりがボコボコ飲まれていく風景が流れ出しまして、おいおい地元やべーじゃん。とかなんとかなりましてな。親とも一週間くらい音信不通だったりしたな、困ったね。
当時は家族と連絡とれねーわ連日の報道で地元付近がドエライことになってるわ。それでもお客さんは普通に来店するわ。参ったもんであります。
営業所の社員さんにクソみたいな人はおらず、全員から大変だろうが気をたしかに、と労ってもらいました。
三週間で東北道が復旧したときはすぐに連休を取らせてくれて、ガソリンまだ供給不足だった気がしますが提携先のスタンドで携行缶で貸してくれたり。人には恵まれ支えられましたな。
問題はそっから先。
被災地外の人は分かると思うんですが、連日のテレビとコマーシャルがね。もう地震一色だったじゃないですか。アレが引き金でね
チラホラと、もう震災ネタ飽きたよいい加減にしろよ。という声が出始めたんですな。
いやわかる!わかるわかる!当時は春日部市民だったから俺も!テレビはほんともう!しんどかった!わかるぞ!飽きるんだよ!
でも、地元がドエライことになってるのを飽きた飽きたもういいんでしょ。と言われると、分かってはいてもツライもんがあります。これが問題だった。
小さなストレスが、日に日に日に蓄積していって、とある日に体調に出まして。手足に震えとか、人の目が見れんとか、人の目が怖いとか。電車は人が怖くて乗れないとか。
家族と一週間連絡が取れずのストレスからの、もう震災どうでもいいよという関東の空気感のストレスがプチプチ溜まり。しばーらくしたらちょっと仕事が出来なくなってしまい申した。
店長や工場長も、今までピコピコちゃんと働いてた俺が突然死んだ顔で挙動不審になった様をみて察してしてくれたようで、退職の手続きをスムーズにしてくれました。ありがたい。
退職したのが、震災から5ヶ月くらいかな?それまで頑張って仕事してたよ。
そっから先、もう物流もいろいろ復活して今まで通りになりつつあった地元に帰って、うちの仕事をやらないか?と親から打診がありそのつもりでいたのですが、ちょっといろいろありワガママいって東京に半年住む事に。フリーターやってました。
んで、いろいろあってちょっとフリーターでは経済的に厳しくなり(遊び過ぎたのもある)、おとなしく地元に帰って今の家の仕事に至りまする。東京は超楽しかった。いまでも帰りたいと思ってる。
やっと家の仕事の話に戻ってきたな。この震災エピソードで事情を語っておかないとただの甘えクソ野郎みたいになってしまうから。そうかもしれないけど…ぁぁ…
家の仕事は自営業ゆえ、福利厚生的なモンがなくてですね、有給とかボーナスとそういう単語が無い世界です。
あとは自動車の専門知識がある人員がいないと成り立たないんですが、そこは元整備士と、大昔に整備士やってた親父でカバーしてます。が親父ももう65歳付近でガンコ者に拍車がかかり、ちょっと厳しい感じです。
母はいまでも経理をソロバン叩いて紙とペンでやっちょります。パソコンは苦手であります。親父も苦手であります。
姉は、子供を出産してから、いろいろ大変ながら仕事をしてくれてますが、子供が熱を出したり病気になると会社を休まざるを得ません。子供のことだからね、仕方ないね。
仕事もどんどん電話注文からファックス注文、電子カタログ注文が中心になってきて、そうなると親が対応できんのよね。どんどん僕に回ってくる仕事が増えてきてね。
んで別に製造業でもなく自社製品を持ってるでない小さい会社ですから、基本が部品の転売なわけですよ。ウチで商品を在庫してるわけでなく。
総合商社というか、なんでも屋というか。基本的に扱う商品に際限がなくて、アレ欲しいコレ欲しい言われたら頑張って探すっつー仕事だす。
んだから、まったく知らん触ったことも見た事もない商品を探すこともしばしば。これがとてもしんどい。何に使うかも不明なモンを探すとなると、問屋への問い合わせもどうすりゃいいのか。わからん。この情報化社会にですよ。これが僕にはとてもつらい。
ネット探せば、まぁモノタロウかamazonなら出てきますよ。ただそれを、どこのウチの取引先の、どの会社が扱ってるのは、まったく検討がつかん。扱ってないこともある。もうお客さん自分でamazonポチったほう早いですよって案件も多い、が何故かそういうことは先方さんの都合でできない。どっかから仕入れないとダメな理由がなにかあるそうだ。わからん。
この作業はとても心がすり減る。いままで持てる知識と技術で仕事をこなすということを多くやっていたので、手探りで見た事も触った事もないモノを探し出すというのが性に合わないらしい。
その品の商品とか品番とかでも教えてくれたら多少楽なんだけど、そんな情報を丁寧にくれる人はこの業界とても少ないのだ。つらい
いろいろあるけども、これ以上は悪口になってしまうのでよくない。ダメだなそれはな。うん
こっから先が一番の問題なのだが。いまの事務所では自分が仕事をしてないと会社が成り立たないという点にありまして。
自分は他の人の作業を代わりにできるけども、自分の専門的な分野は誰も代わりができないのである。
最低限の人数でやってるし、父も母も現役で働いてるし、基本的に何歳になろうが70歳になろうが80歳になろうが働き続けないと収入がなくなる。親の年金は出るが、自分がその時になることにはもう年金は破綻チックな空気になってるだろう。どうにかしてくれ。
例えば、自分が働けなくなっただけで会社が成り立たなくなり、父と母と、子育て中の姉と、実家の祖母の収入源が無くなってしまう。あと間接的に関西にいる兄への仕送り止まってしまう。だから僕はいまの家の仕事を続けている状態なのであります。
転職の自由が完全に奪われたまま、性に合わない仕事を病気しようが怪我しようがひたすら続けねばならない。なのです。ほんとうにつらい。
僕はガサツなのが嫌いというか、相手に分かるようにちゃんと順序立てて分かりやすく説明しようと頑張るんだけども、それをすっとばして雑な要求だけガミガミしてくるというのが一番苦手で一番避けたい仕事なんだけど、見事にその仕事をしてしまっておりまして。
嫌な仕事なら辞めて別の仕事すればいい。んですけども
ねー。生活出来る賃金は貰ってるけど、貯蓄がちょっと厳しくてねー。そんなんを週6でやれといわれても、やりがいもなくキャリアも残らずストレスばかり溜まるのでは、きついのよねー。
僕が仕事を辞めると親と姉の生活が破綻するというのちょっと重すぎない?おかしくないそれ?転職の自由を奪われたまま時間も奪われてるのとつらすぎない?常々思っているのであります。
ということを同僚も上司もいないから友達とかに相談するやん?家族絡みのことだから誰も何も言えなくなっちまうのよね。困らせちゃうだけで。
二年前にこっちの仕事でも体調崩して心療内科通ったんだけど、先生も家族よく話し合ってうんぬんで終わってしまうって、んなことは分かってんだよ!!と
んで軽い精神安定剤みたいの処方されただけでした。原因が分かり過ぎてると誰にもどうにも出来ないらしい。ぼく学んだ。
ちらほら親にもう仕事しんどいお、つらいおと相談しても、お前がいないと会社ガー、仕事ガーで、もう考えない事にしてたんだけど、もう今年で29歳じゃないですか。あ、今年で29歳なんですよ、こう見えても。年齢にはあまり触れないから貴重だよ。んで、転職のアレコレが30歳までとちょいちょい聞くので、もうダメじゃんと。
なので、30歳までには仕事辞めてます家業継ぎません転職します宣言は、してあります。いちおーしております。向こうが本気で考えてるか知らんけども。
ただどうやって仕事探そうかなってさ。ホントに仕事辞められるかも分からんし…これは改めて親に釘を刺しておかんといかん。釘を刺しまくる。辞められるアテがないのに、仕事さがせねーんだよね。
…このままどっかでサラリーマンに転身してもうまくやってけるのかなとも、いま思う。
会社と取引先の人間関係ストレス毎度精神がスベっちゃって弱くなってるので、またリーマンやっても雑な上司と取引先いればまた心療内科へ行かねばならんのかなと。
バイトで飲食店やってたんだけど、ホールも厨房も楽しかったんですよね。なので飲食もまたやってみたいなとも思ってます。
ただ結婚して嫁さんおりますし、共働きでちゃんと貯蓄できるくらいの収入はないと困る。ここがちょっとだけネック。
ただ嫁さんが今の僕がヒーヒーいいながら嫌な仕事やってるの知ってるから、お金じゃなくて好きなことをやってもいいのよって言ってくれたのはありがたかった。
飲食は楽しかったな…好きな酒が絡むと、楽しいのかもしれない。酒の知識なら今でもスポンジみたいに吸収できるみたい。
そんな感じです。30までには実家とケリつけて転職するという、年始のお話でした。こんな求人あるよ的な情報あればくださいな。なんなん
ばいばーい。
がんばるぞー。やー
おさけ、のみたーい。